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醸造元
当家における酢の創業は、15代「茂四郎」ですが、当家のエピソードを少し紹介します。 当家は約500年前に同じ東城町内の八幡神社から分家しましたが、本家の神宮後藤家は平安時代からの家系で現在の神主さんは、58代目になります。
当家13代「興平」(よへい)は「質実剛健」の家風を造り、14代「甚七郎」(じんしちろう)は地主として稲作と和牛の育成に力を入れ、現在の広島比婆牛の源流になったようです。 当時、東城町内には造り酒屋5軒、醤油屋が3軒有り、今で言う本家争いを見て、15代「茂四郎」は、それらと関係のない酢造りを思いついたようです。
明治29年に妻「タミ」を娶り、このころから夫婦で酢造りを始めました。愛妻「タミ」は明治30年に急逝し、悲嘆にくれた茂四郎は、いっそう酢造りに精を出し、その後20年近い歳月をかけて、全国に知れ渡る酢「比婆乃譽」を育て上げました。 茂四郎は愛妻「タミ」と始めた酢を、何処に出しても恥ずかしくない優れた酢にして「タミ」に捧げたかったのだと思います。
代が下がって、私の父17代「和正」は東京農業大学の酢造科に進学。卒業後、東城町に帰り、大学で学んだ発酵の技術を応用して、酢のみならず、ワインや味噌を造っていましたが、合成酢酸(氷酢酸)が普及して値が崩れ、やむなく事業の軸をセメント販売に移行し、醸造に関しては、『伝統を残す』という形だけのものとなりました。
しかし、私ども後藤家にとって酢は家業であり、現在でも東城町内では「酢後藤」と呼ばれております。 15代「茂四郎」に思いを致し、父の代から開発を続けてきた当社の製造方法を用いて、「帝釈の酢」の復刻を企画しました。